1982-07-06 第96回国会 参議院 外務委員会 第13号
三十三年前、広島及び長崎の両市に投下された二発の原子爆弾は、一瞬にして両市を灰燼に帰せしめ、あわせて三十万人に近い生命を奪いました。また、幸いにして生命をとりとめた約三十七万人を数える被爆者の苦しみは、今日も続いております。
三十三年前、広島及び長崎の両市に投下された二発の原子爆弾は、一瞬にして両市を灰燼に帰せしめ、あわせて三十万人に近い生命を奪いました。また、幸いにして生命をとりとめた約三十七万人を数える被爆者の苦しみは、今日も続いております。
想うに私共の二十五年は、そのはじめは終戦直後の灰燼の中から漸く立上りかけた時期であり、またパーヂが解けて独立国らしい息吹が国会に送り込まれ始めた頃であり、当時は、新らしい議会制民主々義が生誕し、生長し行く過渡期でありましたために、院の内外に混乱が起ることも多かったのであります。
三つには、軍事基地が市内にあるため、一朝有事の際には福岡市が攻撃の目標となり、五十四万市民の生命財産は一瞬にして灰燼に帰するという危機感を持っているごとであります。高射砲陣地の増設問題はさらに一そうその気持を深めておるのであります。
そこで山梨県は、かくのごとくしてもし被弾地が予備演習地の方面に広がりますと、この予備演習地の方は、天然記念物、原始林、そのほか富士観光の主体を成しておる地域でございまして、ここに大砲が撃ち込まれ、ナパーム爆弾が落ちるというようなことになりますれば、これらの天然記念物並びに観光地域は灰燼に帰してしまうというので、もう非常に問題になって、先ほど申しましたような県民大会となって現われてきたのでございます。
そこで、本日は建設省関係でございますので、特に関係当局にお伺いをしたいのですが、全町の九割九分まで灰燼に帰しました岩内町の復興の諸対策でございます。御承知でもあろうかと存じますが、日本海に面したあの岩内は、雪が来ておりますし、道路はもう凍りついてしまつております。今なお罹災民は、屋根のとれました学校の運動場に集団避難をいたしておるのが現状でございます。
それから公営住宅の二箇年計画によつて、灰燼に帰した総戸数の三割ですから、これに要するものは、今あなたは二億とおつしやつたのですが、私がいろいろ調べたところ、二億二千二百三十三万九千円と承知しておるのです。本年度の四百五十戸分は、本日も局長が大蔵省と折衝してくださつておるそうですが、これが問題なんです。あなたも現地を御視察になつておわかりのように、もう二十日過ぎますと、北海道はどうにもなりません。
最も緊急を要すると現地に行きまして拝見もし、且つ、いろいろ聞いて見ましたところからしましても、三千数百戸一挙に灰燼に帰した岩内町の事情が、全くまあいわば「すけそう」によつてあの町が立つておる。而も漁船の大半を、或いは焼失、或いは風浪のために大破して、大体三百五隻出漁予定をしておる。然るところ、緊急修理等をいたしても百四十隻ほどしかまあどうにもならない。
戦争犠牲者と申しましても、直接戦争に動員され、またそのためにある者は戦死し、ある者は傷つき倒れるというものがあり、あるいはまた国内においては、御存じの通り空襲による大きな被害を受けて、そのためにある者は死に、ある者は所有財産を灰燼に帰している。こういうようなわけで、その犠牲者の範囲は非常に広いのであります。だから戦争犠牲者ということになりますと、どの辺までこれを具体的にお考えになつておりますか。
ところで、実態を申し上げますと、そういうことも一部にはありましようけれども、大きな都市なんかにおいては特にそうでありますが、決して清掃という仕事は、そのような軽労働ではなくて、まず汚物の定義としていわれておりますものは糞尿、灰燼、塵芥、あるいは犬とか、ねことか、ねずみ等の死体、こういうものが定義されております。
そういつたようなことでございまして、またあとは灰燼でございますが、もえがらを処理すること、これは灰の処理ですが、こういうものもあるわけでございます。それから船舶の修理、自動車の修理というものもございますし、これらの機材をつくるところの工場等もあります。こういうのが大体の概要でございます。
すでに御承知のように、この根室地方の中心都市でありますところの根室の町は終戦一カ月前に空襲によりまして、一日にしてその八割を灰燼に帰してしまつたのであります。更に終戦と同時に唯一の生産基盤でありますところのこの千島、歯舞諸島を一挙に失いまして、国境の町と化してしまつたのであります。
この根室地方の中心都市であります根室の町は、終戦の一箇月前に、空襲によりまして一日にしてその八〇%を灰燼に帰してしまいました。さらに終戦と同時に、その生活の基盤でありますところの漁場の南千島、歯舞、諸島を一挙に失いまして、さびしい国境の町になつてしまつたのであります。しかもこの島から父祖伝来の財産を放棄して引掛げて来ました多くの同胞もまたこの地方に迎え入れられたのでございます。
それで国力を挙げて外航船舶を、船を造らなければならぬ、こういうことで国が大いに助成する、それは一つの方法ですが、併し何も戦争によつて全財産を失つたというのは、陸上における企業でも工場全部灰燼に帰し、全く素寒貧になつてしまつた。ただまあ土地だけがあるということはあるでしようけれども、殊更にそう船会社だけが痛い目を負つたのではなく、ほかに多くの犠牲がある。
そのためにこのとうとい野戦の記録であり、またなくなつた人たちにとりましては涙の記録であるところの戦時兵籍名簿そのものがほとんど灰燼に帰しておる。しかしながらこれはなお努力して調査いたしますならば、おそらく自然にわかつて来るであろうと思う。ただ今日の段階においては、われわれはこれを今即時に取上げるということが不可能に近いというからこそ、私どもは一時これを放棄したのであります。
しかしながら翻つて沖縄の現状を顧みますと、今次太平洋戦争におきまして、物心両面ともに灰燼的な打撃を受け、さらに戦後長い期間完全なる占領行政の特殊事情のもとに置かれて参つたのであります。いままた変転きわまりない国際情勢の俎上に載せられて、将来についても確たる見通しも立たない苦境に立つて懊悩している次第であります。
更に、家を焼かれ、財を失い、営々として築き上げた半生の努力を一瞬にして灰燼に帰せしめ、一家四散の悲運に際会しておるお気の毒なかたがたは、これ又幾十万の多きを数えるのであります。過日、青春の胸に燃ゆる希望を抱きながらも、あたら花の姿に拭いがたい痛手を受けた広島の原爆娘の一行が、一縷の望みを抱いて遙々東京大学病院の門を訪れたというお気の毒な報道は恐らく各位も御承知のことと思うのであります。
例は佐世保市の名切谷一帯は佐世保市の中央にあつて、市の繁華街でありましたが、戦災によつて家屋は焼失し、地主の多くは疎開しておつたのでありますが、帰つて見ると家は灰燼に帰して、土地は進駐軍用に徴用されておつたのであります。その後住宅難に苦しみながらも、講和條約の発効するのを千秋の思いで待つたのでありますけれども、今日までその返還を見ないのであります。
先ほどからの話でよくおわかりだと思うのでありますが、あれだけの大戦争をして、国内の都市という都市が灰燼に帰した。電話のない都市は一つもないわけであります。
だがこの原子兵器を使えば何方という人間を殺傷することができる、一度にして東京の一部を灰燼に帰することができるという危険があるわけであります。こういう場合はどうなるのですか。凶器に入るか毒劇物に入るかという点から論じなければならぬのですが、これはどうなるのですか。
同じコンクリートの建物でも、古く建てられた国警本部は、ガラス窓から火が入つて、防火に役立たず、また土蔵の多くは灰燼に帰したのでありますが、前述の冨士銀行は、窓の防火シヤツターが完備していたため、さすがの猛火を食いとめ得た点は、かかる大火災に対して、近代的に整備された耐火建築物が、いかに役立つかを物語るものであります。
特にこのたびの場合におきましても、熱海の大火と同じく、富士銀行が耐火建築であつたため、その後背地に所在した県庁及び市役所を初め広大なる市街地が灰燼から免れ、又焼跡の真唯中に二十坪程度の耐火建築の個人住宅がただひとつ無傷健在で残つていたのでありますが、これは当時の風速、猛火等から推察いたしまして、まさに驚異的事実でありまして、耐火建築の造成が如何に不燃都市の構成に重要であるかを示唆したものと言うべきものであります
そこで、ただいまの政府当局からの御答弁に関連いたしまして、二、三お尋ねをいたしたいのでありますが、鳥取市の県立第一中央病院の復旧については、起債の許可等について、できろだけ積極的なあつせんをしたい、また補助金等についても、何らかの措置を講じたいというお話でありましたが、何しろほとんど全市の中枢的な医療機関というものがすつかり灰燼に帰したのでありまして、この場合、政府の方で、たとえば昭和二十七年度の予算